とりとめのないことを書く。
先にあやまっておきたいが風呂スタイルという言葉を生み出してしまったが定義が定まっていない。
私の風呂スタイルを一例にあげる。
昔から静かな環境が苦手で風呂でもそうだった。
お化けとか目をつぶっている時に後ろにだるまさんが云々とかではない。
いつも防水ラジオを持ち込んでいた。情報が入ってくるのが楽しかった。
そして風呂の湯をためて歯磨き、髭剃り、目を休めたり、
風呂は一つのアトラクションでそれ故に「毎日入りたくない=めんどくさい」だった。
リンク先はpdfだが、その内容をテレビで見た。
見た時は「風呂場はリラックスするところであって義務じゃないだろう」
と他人に対しては考えていたが、自分を見つめてみると矛盾しすぎて笑えてしまう。
私も今では時間に追われただでさえ風呂はめんどくさいという人間だったのに
「シャワーで済ませる」という手段を手に入れてしまった。
それでも風呂を擬似サウナにして「風呂ですること」を行っている。
具体的に言うと歯磨き、髭剃りに加えて防水スマホを片手に実験と称して
ラジオ代わりにニュースを読んでいる。
実に楽しい。が、からだは休まっていない。
誰か女優さんが『美肌のために』と言って毎日風呂に入っていないらしい。
比較的関連している記事を見かけた。
不潔は社会において悪である。そりゃもう仕方ない。
不潔かどうかは自分の主観だけでは難しい。
ので毎日はいる(=言い訳できる)ようにしているのだ。
こんなことを頭を洗いながら考えていた。
目の前にスマホがあるのですぐにメモを取れる。
実に楽しい。が、からだは休まっていない。
なにが言いたいかって?
そんなものはない。